子どもって

子どもって、大人以上の感受性を持っていると思う。
学校の先生や身近な大人に対して、鋭い評価をしているのだ。
だけど、その評価を大人のように言葉に出して言うことはできない。
例えば、「あの人は、ロジカルで頭がいいんだろうけど、人の気持ちを汲み取ることができない」とか、
「あのひとはいつも一生懸命で、ダサいけど、自分たちの傍にいてくれるような感じがする」とか、
そんな気持ちを言葉にして伝えることはとても難しい。
だから、「好き」とか「嫌い」とか、感情をそんな単純な表現でしかイメージできない。
子どもたちの拙い言葉を真に受けて、「しょうがないなぁ、教えてやるか」などとおこがましいことを考えて子どもに接すると、途端に「ウザイ」と思われる。
ようやく中学生になって表現力が付いてきた娘と、小学校時代の先生の話ができる。
「あの先生はどうして皆から人気があったの?」
その質問に対して、
「ちゃんと叱ってくれたから」
「良いことは良い、悪いことは悪いと、教えてくれたの?」
「たぶん・・」
そんな会話が交わされる。
今日、環境教育ゲーム「エコトレードゲーム」を市内の小学校で実施した。
子どもたちは、間違ったこと、ウソには敏感だ。
言葉にはうまくできないけれど、そういうことに憤りを感じる。
そんな気持ちを汲み取れない大人がいると悲しい。
そう感じている気持ちを理解できない大人がいると悲しい。
大人といっても、子どもが成長したあかつきで、
その大人が子どもを育てていくということは、
子どもからの成長の過程で、様々なハードルに立ち向かうプロセスを
乗り越えているはずだ。
そのプロセスを安易に回避したり、気がついているのに無視したり、
心当たりがあることも多い。

だから、子どもと接する事業を行なうということは、つねに子どもと真剣に
“人として”対峙する心がけが必要な良い機会だと思う。